和佐の里について

先日、歩こう会の下見に和歌山電鉄沿線の伊太祁曽神社から山越えして和佐へ出ました。
そして「紀伊風土記の丘」まで歩くと約6km1時間半かかりました。和佐といえば最近ではパナソニック松下電器の創業者松下幸之助の生誕地です。また、昔弓の名人と云われた和佐大八郎の生誕地です。熊野古道にもなっていて通りで和佐大八郎の墓へ立ち寄りました。
明治4年につくられた小学校跡というのも見ました。和歌山の中心である関戸とことなり、このような田舎で早くも小学校が出来て広い地域の子供たちが学んだという地域です。
和佐を和歌山方面の西へ行くと岩橋ちくがありここに有名な岩橋古墳があるのです。
前回ご紹介した「紀伊風土記の丘」です。今回は松下幸之助生誕地へは行きませんでした


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この記事へのコメント

2006年09月26日 09:43
約6kmを1時間半、散策されたのですね。
私どもも、11月初旬に京都の東山山麓の銀閣寺から、清水寺まで遺跡を訪ねる散策を計画していますが・・・足の悪い方も含めて、どれくらいの時間を見込んだらよいかと考えています。
2006年09月26日 19:35
Tatehikoざん、コメントありがとう。
11月京都は案内役ですか?大変ですね。付いて行く方はいいですが案内は時間や距離気になりますね。私はあまり京都は知りませんが昨年1月にグループの特別例会で清水寺周辺を少し散策しました。その時のムービーがありました。少し永いですが時間があれば見てください。
http://mkishi.haru.gs/kpc0501282.wmv
2006年09月26日 21:16
こんばんは。和佐大八郎って、江戸時代の弓の名手だったのですね。1686年の24歳のとき、京都・三十三間堂の「通し矢」に挑戦し、一昼夜に八千百三十三本という大記録を達成。帰藩した大八郎は、昇進と人々の称賛に迎えられ、晩年は弟の女性問題がもとで田辺城下に幽閉され、やがて病により51歳の生涯を失意のうちに終えた。って書いてありましたね。24時間も弓を射てすごい体力でしたが、其れを寝ずに数えた人も大変なことですよね。矢が八千百三十三本て、何度も同じ矢を使ったのでしょうね。そしてこの近くに松下幸之助生誕地があったのですね。下見のお役目も大変ですね。まだ先ですがお天気が良ければ良いですが、案内する方にとってはそれが気が気でないですね。
2006年09月26日 23:49
彦左さん、こんばんは
 和歌山県下も海南自動車道路の計画時点で、周辺地域に測量に行きました。
 三角点に航空標識を取り付けに行って山道に迷い、同僚と二人遭難しかけたことを昨日のように思い出します。
 それまでは、方向感覚に自信を持っていましたが、その事件を境に二人とも方向音痴になりました。
 道に迷った原因が、二人とも「南」に向かって歩いていると確認しあっていたのに「磁石で確認したら 北」を示していて、背筋に冷たい物が流れるのを生まれて初めて感じたときでした。
 それからの人生 方向音痴で困っています。
2006年09月27日 11:40
和佐地区に明治4年に開校した「遷蕎」小学校があった由、小学校名前は通常その地の地名が付けられるのですが、京都でも明治初期に建てられた学校には地名ではなく、室町蛸薬師にあった「明倫」小学校(現在は「京都芸術センター」になっている)のように論語に出てくる言葉を学校名にしています。和佐に「遷蕎」小学校のような名前が残っているのは、当時この地区には偉大な漢学者がいたのでしょうね。
2006年09月27日 14:25
メンテナンス中との事で朝に投稿出来ませんでした。
それからゴルフに出かけていましたので失礼しました。

一花さん、コメントありがとう。
和佐大八郎の由緒をきっちり読んで頂いたのですね。
私は記述するのが苦手ですので、この様な説明は
すべて写真で由緒を撮って貼り付けています。
松下幸之助の公園もあるのですが、今回の目的地
から少し離れているのです。和佐という集落は
非常に田舎で田園風景だけですが、和歌山の中では
進んでいたのだと認識出来ました。

2006年09月27日 14:28
ひこうちゅうねんさん、コメントありがとう。
測量をされてるんですか?山の中へ入ると誰でも方向音痴になります。
私はあなたに輪を掛けた方向音痴です。特に海外で困ったことが多々ありますが、
大阪で道を聞いたときです。頑固そうなおじいさんに道を尋ねたところ”次の交差点を東に行け”
というから「次の交差点を右に曲がればいいのですね」と答えたところ、
そのおじいさん真っ赤に怒って「ワシが云ってるのは東じゃ!右へはそりゃ西じゃ」と怒られたことを忘れません。
大阪で道を聞くと、東西南北を云われ間違います。その点東京は右へ左へと教えてくれます。京都も難しいですね

世話役さん、コメントありがとう。
流石歴史に詳しいですね。和歌山の田んぼの中の集落にも
偉い人がいたのですね。松下幸之助もその一人です。近くには記念碑と共に公園もあります。